未知との遭遇か

いつも怪しげなものに興味津々

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自然の恵みをいただいて超健康生活

フィット・フォー・ライフ ——健康長寿には「不滅の原則」があった!




不調を癒す《地球大地の未解明》パワー アーシング すべての人が知っておくべき重大な医学的真実!



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  1. 2015/08/30(日) 13:48:07|
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代替医療 ドイツ振動医学

バイオレゾナンス



ドイツのパウル・シュミットという技術者によって1975年に着想したもので、波動の共鳴現象を利用して、身体の気(生命力)の流れを調整する波動健康法です。
機器が高価、非科学的、万能ではありませんが、自然治癒力を引き出す効果があります。
人だけでなく、犬、猫、馬などの動物にも使えます。
ラジオニクスのように、オペレーターやクライアントが機器を信じる必要もありません。
そこが、他の波動調整機器との違いです。
健康管理が出来ている方で、金銭的余裕がある人なら、使ってみても良いかもしれません。
特に、未病を調べてみたい医療関係者、ダウジングが堪能な人に相応しい波動調整システムです。

ドイツ振動医学の波動テック
  1. 2015/01/04(日) 09:03:53|
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自共鳴発音型 枕スピーカー


写真

今、音が振動で感じられる枕スピーカー使っています。
特に、低音は振動を感じられますので、太鼓、花火、雷などの音は臨場感を増します。
ヘッドフォンのような装着性がないことから、睡眠導入や自己催眠に最適なスピーカーと言えます。
枕は新素材・三次元網状構造体「シーコア(C-CORE)」で、体圧分散、通気性に優れていて、枕そのものは洗えて長く使える枕になっています。
スピーカーは小型ながら音を増幅し平面波として発する自共鳴発音型スピーカーで高分子発泡体にコーティングされ水中にも使用可能なものです。
アンプは、SDカード・3.5mmステレオジャックが使えます。リチウム電池内臓でUSBケーブルとUSB用ACアダプターで充電しながら動作できます。満充電なら10時間以上使えますので、電源を確保できない場所でも便利です。

写真 (2)

ご興味の方は、 株式会社シーエンジ(C-ENG Co.,LTD) にお問い合わせください。

  1. 2014/06/15(日) 16:52:28|
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ほんの少しだけ視点を広く持てれば本当に必要なものが見えてきます。

人の「器」と「徳」との関係





人の器とは、人格の大きさで、魂の成熟度でもあります。

器とは、その名の通り、容器の役割です。

器の大きさは、寛容性とも言えます。

寛容とは、寛大で、人をゆるし、受けいれること。とがめたりしないことです。

器の大きい人には、人が集まってきます。器の小さい人々も包容していくという意味でもあります。

つまり、器の大きい人ほど寛容性が高くなっています。

逆に、器の小さい人ほど寛容性が低くなっています。

器の小さい人を例えで言うと、衝動的に怒ったり、聞く耳を持たなかったり、自慢で優越感に浸ったりなど

人をゆるさず、受け入れず、とがめることばかりの人格のことです。

器が小さいと、それに応じた容量の願望までということになります。

器が大きいと、容量の大きい願望も入れることができます。

人の器の大きさも、植物の生育環境で言うところの森林から植木鉢ぐらいまでの違いがあり、

人それぞれの大きさがあるようです。

ただ、器が小さいままで、容量以上の願望を持ってきたとして、

もし、それが実現化したとすれば、こぼれ落ちることもありますので、

願望実現などを希望したいならば、器を大きくしていくことをお勧めします。

この「器」というものは、仏道の言葉を借りれば「徳」と連動しています。

「徳」とは、対価や賞賛などを求めない無為な善行によるか、

相当な苦痛の代償として、どちらかで得ていくものです。

「得る者は失い、失う者は得る」という理です。

「徳を得る」の逆は「徳を失う」ことであり、悪行をすれば「業」【ごう】を積むことになります。

「業」を消化するにも、「徳」を積むしかありません。

相当な「業」を積めば、最終的には、それ相応の苦痛を舐めるという意味でもあります。

例えば、AがBをいじめていれば、AはBに「徳」を与えて、Aは「業」を得るわけです。

いじめる側がその時、気持ち良い優越感や快感を覚えたとしても、

いじめを行った分だけ、相手に「徳」を与えて「徳を失い」「業を得る」ということです。

やられた方は痛い思いをしながら「徳」を得たという意味です。

これを単なる道徳や宗教として片付けてしまうか、

現代科学では認知しきれない「何らかの交換現象」があるかもしれないと考えられるかは自由です。

むしろ、ここで言いたいのは、器を大きくしたいなら、「徳を積む」ことを実行すれば良いということで、

徳を積むには、それなりの寛容性が必要になります。まさに、器の大きさと連動しているわけです。

例えば、あなたが、むかつく人に出会うと「酷いやつだな」とか思いますよね?

そこで、むかつく相手に吐き出してしまえば喧嘩になるわけです。

その喧嘩の状態は、「徳」で キャッチボールをしているとも言えます。

そこで、あなたがこらえて耐えることができたなら、

あなたは相手から「徳」をいただいたことになるわけです。

一種の寛容性に広がりができたわけです。つまり、器が広がったと言うことです。

嫌なものを避けるいうことは「徳」を得る機会を逃し、

「器」を狭める方向性を持つことにもなりかねません。

本当に器の大きい人は、意識せず徳を積んでいます。それを「上徳」とも呼ばれています。

意識して「徳を積もう」とか「徳をいただく」などは「下徳」とも呼ばれています。

とにかく、頭で考えることばかりでなく、体を張って体験していくことが、

あなたの「器」を広げるということです。


  1. 2013/02/24(日) 18:13:17|
  2. 願いも叶うかも
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