未知との遭遇か

いつも怪しげなものに興味津々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

人の「器」と「徳」との関係





人の器とは、人格の大きさで、魂の成熟度でもあります。

器とは、その名の通り、容器の役割です。

器の大きさは、寛容性とも言えます。

寛容とは、寛大で、人をゆるし、受けいれること。とがめたりしないことです。

器の大きい人には、人が集まってきます。器の小さい人々も包容していくという意味でもあります。

つまり、器の大きい人ほど寛容性が高くなっています。

逆に、器の小さい人ほど寛容性が低くなっています。

器の小さい人を例えで言うと、衝動的に怒ったり、聞く耳を持たなかったり、自慢で優越感に浸ったりなど

人をゆるさず、受け入れず、とがめることばかりの人格のことです。

器が小さいと、それに応じた容量の願望までということになります。

器が大きいと、容量の大きい願望も入れることができます。

人の器の大きさも、植物の生育環境で言うところの森林から植木鉢ぐらいまでの違いがあり、

人それぞれの大きさがあるようです。

ただ、器が小さいままで、容量以上の願望を持ってきたとして、

もし、それが実現化したとすれば、こぼれ落ちることもありますので、

願望実現などを希望したいならば、器を大きくしていくことをお勧めします。

この「器」というものは、仏道の言葉を借りれば「徳」と連動しています。

「徳」とは、対価や賞賛などを求めない無為な善行によるか、

相当な苦痛の代償として、どちらかで得ていくものです。

「得る者は失い、失う者は得る」という理です。

「徳を得る」の逆は「徳を失う」ことであり、悪行をすれば「業」【ごう】を積むことになります。

「業」を消化するにも、「徳」を積むしかありません。

相当な「業」を積めば、最終的には、それ相応の苦痛を舐めるという意味でもあります。

例えば、AがBをいじめていれば、AはBに「徳」を与えて、Aは「業」を得るわけです。

いじめる側がその時、気持ち良い優越感や快感を覚えたとしても、

いじめを行った分だけ、相手に「徳」を与えて「徳を失い」「業を得る」ということです。

やられた方は痛い思いをしながら「徳」を得たという意味です。

これを単なる道徳や宗教として片付けてしまうか、

現代科学では認知しきれない「何らかの交換現象」があるかもしれないと考えられるかは自由です。

むしろ、ここで言いたいのは、器を大きくしたいなら、「徳を積む」ことを実行すれば良いということで、

徳を積むには、それなりの寛容性が必要になります。まさに、器の大きさと連動しているわけです。

例えば、あなたが、むかつく人に出会うと「酷いやつだな」とか思いますよね?

そこで、むかつく相手に吐き出してしまえば喧嘩になるわけです。

その喧嘩の状態は、「徳」で キャッチボールをしているとも言えます。

そこで、あなたがこらえて耐えることができたなら、

あなたは相手から「徳」をいただいたことになるわけです。

一種の寛容性に広がりができたわけです。つまり、器が広がったと言うことです。

嫌なものを避けるいうことは「徳」を得る機会を逃し、

「器」を狭める方向性を持つことにもなりかねません。

本当に器の大きい人は、意識せず徳を積んでいます。それを「上徳」とも呼ばれています。

意識して「徳を積もう」とか「徳をいただく」などは「下徳」とも呼ばれています。

とにかく、頭で考えることばかりでなく、体を張って体験していくことが、

あなたの「器」を広げるということです。


  1. 2013/02/24(日) 18:13:17|
  2. 願いも叶うかも
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<ほんの少しだけ視点を広く持てれば本当に必要なものが見えてきます。 | ホーム | 願いを叶えるコツ>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://miffiokun.blog.fc2.com/tb.php/10-79bd5b2c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。